地域おこしの活動をしていると、必ず「文化」とか「伝統」という言葉がつきまとう。地域にある伝統文化やお祭りごとをどうやって残していくか、集落に後継ぎとなる若い人をどうやって残していくか、ということが少子高齢化の進んでいる日本の各地方で問題となっている。
東温市も、もちろんそう。東温市内でもたくさんの地域があって、それぞれに文化があって、保存会のような組織もたくさんある。
伝統文化はなぜ残すべきなのか
先日の「東温市の「文化政策」をマジで考える連続講座&ワークショップ」では、そもそもなぜ文化を残していくべきなのか?という問いについても考えました。
(※参加できる方はぜひ。来れるときだけ、1回からでも大丈夫です。)
正直、地域に残っているもので「なくてもいいもの」ってたくさんある。というか「なくてもいい」を基準に考えたら、今の世の中ほとんどのモノやコトがなくてもいいんじゃないかと思えてくる。なくて何が困るのかと問われても、答えるのはむずかしいものばかり。
その「なくてもいいもの」を忘れないように、その「なくてもいいもの」を大事にしてきた人と仲良くしながら、新しい考えを(いい感じに)とり入れていくのが地域おこしの仕事のひとつかもしれない。と思って活動しています。
なくてもいいものは、あってよかったなあと思うもの
地域の伝統文化は、無理やり残そうとするものでも、必ずなくてはならないものでもないかもしれない。それでも、長いあいだ継承されてきたのは事実であって。それにまつわる記憶がたくさんの人の心の中に残っている。
それは「必要だったから」か「たのしいから」のどちらかが理由なんじゃないかと思ってた。めんどくさいと言いながらも続けられてきたのは、そこに「たのしさ」があるんだと思ってた。
けど、それだけじゃなくて、楽しくなかったとしても、合理的に考えたらあまり意味のないことだとしても、嫌々参加したその行事がないと、つながりがなくなってしまうという意見もあった。(そして、それは割といい思い出として残っている) 実際に地域で活動してる人にしかわからない。そこでの出会いだってある。それ自体が、記憶の継承される場にもなっている。当事者たちは、「文化を残そう」と思ってやってないかもしれないけれど。
なくてもいいものとは、あってよかったなぁと思うものだ。
どこかで読んで、ノートにメモしてた言葉。
東温市にたくさんある桜だって、ないと困るわけではない。けどその多くは、人が植えたり、手入れして残されてる。きれいなもの、たのしいことのほとんどは「なくてもいい」と思われるかもしれない。けど、ときどき「あってよかったなぁ」と思わされる。地域の文化もそうかもしれない。
伝統文化はなぜ残すべきなのか、答えはわからない。ぼくは移住者でよそ者なので、もしなくなってもあったことすら知らないこともたくさんあると思う。
けど、ずっと続けられてきたことがなくなるのは寂しいなと思う。新しいことをするときも、「あってよかったなあ」と思われるものにしたい。