アートって全くといっていいほど、これまで僕の人生の中に関係ないと思ってて、美術館に行ったり、演劇を観たりするようになったのはここ数年の話で、今でもほんとうに楽しめているのかよくわからない。
小学生からサッカーをはじめて、ずっとボール蹴っているけれど、実はスポーツですら観戦はあまり好きじゃない。観るとしても純粋に楽しむというより、自分のプレーにどう活かせるかという視点でしか観てないと思う。
仕事でアート系のイベントを観ることが多くなったけれど、そこでも似たような感覚だ。何かの役に立ったか、この経験は人生を豊かにしてくれてるのか、と思いながら体験している気がする。よかったなあと思うことはあっても、純粋に楽しめてはいないと思う。
正直、よくわからなかったアート関連のイベントは「???」で終わったものもある。ぼくの人生にどう影響したか、今後にどう影響するのかは想像もつかない。
わからない芸術に遭遇すると、言葉で説明を求めてしまうけど、説明できないからこそ芸術の形で表現されているのであって、難しいところである。
優れた音楽とか美術に触れたときの感じはたぶん言葉で説明できないのが正解なんだろうと思う。言葉で説明できるのであれば、もはやそれは芸術ではない。、、なんて言えるほど芸術を語れる資格はありませんが。もしかしたら、よくわからないものに触れることで無意識の部分で世界の見え方が変わっているかもしれない。
たしか「アートとスポーツのあいだ」というタイトルで書いているのだけど、アートもスポーツでありうるし、スポーツもアートでありうるのではないかとは思う。
例えば、サッカーの試合中のボールの動きを線にして、ピッチをキャンパスだと思えば試合後に1つの絵が出来上がる。それは即興で描かれた1つの芸術作品ともいえるのではないか。
絵を描くという創造的な行為も、速さを競えばスポーツになるし、音楽の演奏も速さを競えばスポーツになりうるかもしれない。事実、音楽会などではスキルを競っている部分もあると思う。
つまりは、見方や切り取り方次第で、いろんな行為が創造的でありうるし、スポーツのように身体的だったり競技的でありうるのではないか。まあ、アートっていう言葉自体、人によって受け取り方はちがいますね。
意識するしないに関わらず、僕たちの生活に創造的な部分や身体的な部分は存在していて、それをわざわざ言葉で切り取っているに過ぎないのかもしれない。
僕たちは音楽を聴いてリラックスするし、映画に感銘を受け、スポーツ観戦で勇気をもらい、モチベーションが上がることもある。ある文学作品に触れたことが人生の大事な選択を左右することもある。いろんな分野の刺激があり、どれも何かのきっかけになりうる。
文化芸術によるまちづくり、スポーツ振興によるまちづくりということがよく言われるように、それぞれ「まちづくり」という文脈で語られるときに求められる効果は同じようなものかもしれない。
多様な体験を提供すること、多様な価値観に触れられること。地方といわれる場所ではもちろん大事だと思うけど、それを計画的にするのもなんか変だなーと思うのも正直なところ。
子どもの教育に関わる仕事もするようになったけれど、よかれと思って提供する事業が彼らにどう影響するのかはわからない。大人のぼくも未知のものから何かを学ぶ力はまだまだである。
スポーツにしろ創作活動にしろ、それを続けている人は、その人なりの楽しみや喜び、おもしろさをその中に感じているのであって、自発的に続けている。そして、そのきっかけは偶然が多いと思う。
気づかれないような偶然がたくさん起こるようなまちづくりはしたい。
わかりやすい数字やそれらしい効果を求めたイベントなどたくさんあるけど、何か企画すると説明しなきゃいけないわけだけど、そういった目に見える効果と数字にはでないけど大事な実感のようなもののあいだを意識して活動しようと思う。
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