松山のロープウェイ街にあるRICO SWEETS & SUPPLEY CO.さんで開催された出版記念イベントに参加してきました。
尹雄大(ゆんうんで)さんのことは一切知らなかったのですが、なんとなく興味を持ったので・・・
自分も、大学休学したり、ふらふら旅したり、仕事もすぐ辞めたり、、割と「脇道にそれ」てきた人間だと思います。
あと、尹さんが師事しているという甲野善紀さんの著書は何冊か読ませていただいてたので身体感覚などについては興味がありました。
すごく共感できる話ばかりだったのですが、それをわかりやすく「言語化できる」っていうのがやっぱりすごいなーと思いました。
(イベントの様子は、ほぼ写真撮ってません・・)
「脇道にそれる <正しさ>を手放すということ」尹雄大
本は読んだことなかったので、トークイベントの受付で購入させていただきました。
この本で驚いたのは、さいごの第4章の半分以上が「まちづくり」の話になっていたことです。
ここでも、ぼくが「地域おこし」とか「まちづくり」に関わるようになって感じていた違和感みたいなものを言語化してくれていました。
(ここでまとめることはできませんが・・・)
ひとつは、いわゆる「地域おこし」の文脈で語られる「社会」とか「経済」「仕事」っていうものが、日々の暮らしで味わうこと、その手応えから作られていないということ。他人の物差しや世間のイメージとの照らし合わせで考え、形作ろうとしていること。
なんとなく、「空き家のセルフリノベーション促進」「空間を共有できる場づくり」・・・など、地域おこし的な形容の仕方をされるけど、本質はそこじゃないよなと思う活動も多々ある気がします。
私は町と町の人に関わりはしても、それ以上の町づくりにはあまり関心ないんです。だって町づくりって他人のことだし、自分の外側のこと。
まずは自分のことからで、だから「たみ」(ゲストハウスの名前)を運営することで居心地よく暮らしていきたい。同じようなことを魚屋、酒屋でやってる人がいる。そういう人が町に集まっていて、それぞれが家族を食べさせている。そう思うと、なんだかすごいですよね
鳥取でゲストハウスをされている方の言葉が引用されていました。
ただ暮らしていきたい人がいて
ただまちをおもしろくする人がいて、
あるいはおもしろがる人がいて、
という状態を、「ソーシャルビジネス」という言葉で語ったり、概念化したり、要約して理解したりすると「おもしろさ」も無くなってしまいそうです。
ぼくたちはあまりにも「問題」を見つけて、それを「解決」することに慣れすぎている気がします。
「あるべき社会」とか「便利さ」「お洒落さ」のようなイメージがあって、そこを目指すような。
人が少ないからといって、寂れているとは限らないし、
現にそこで人が生きていること、暮らしていること。
客観的にばかり見ていると、それ自体が経済であるってことを、見過ごしがちになってしまいます。
改めて「正しさ」を手放す、頭をやわらかくするいい機会になりました。
運動神経がいいわけではないけど、10年間キックボクシングをしているという尹さん。「痛いから」という理由でプロは目指さなかったそうです。今思うと、武術の話もう少し聞きたかった。
あと、ロルフィングをされている店主のノビルさん(昇さん)とのトークもう少しちゃんと聞きたかったなーと思います。「身体の脇道にそれる話」は、時間もなく途中で終わってしまいました。
尹さんの別の著書。
こっちも届いたので読んでみます。